ミゲルが20歳を過ぎたころ、
私たちは知り合った。
彼は、
クリスチャン・ワックの親友だ。
それからミゲルの妹は、
肺の難病にかかってしまった。
ミゲルは、
毎日24時間つききりで看病し、
7年間を病院で過ごした。
妹はドネーションによって肺移植をし、
奇跡的に回復し、
いまではすっかり元気になった。
そして彼は職に就くと、
持ち前の聡明さを発揮し、
ハーバード大学出身のエリートたちと仕事をしている。
ミゲルと恋人メーガンは、
昨年くらいから日本旅を計画していた。
そして無事に旅が始まった。
縁があり、
彼の家族旅行にご一緒すると、
晴れやかな秋晴れ、
無風という天候があり、
のみならず誰も予測すらできなかった最高の波を当てた。
私たちは笑い、
喜び合いながら土佐のおいしいものを食べて、
しこまた酔って、
それでいて傷一つない輝く日々を過ごすことができた。
(蚊やクラゲには刺されたが)
私は敬虔あらかたな宗教人ではない。
ただ、
ラカ法王をハッピーサーフィンの象徴たる地位だと崇め、
サーフィン主体の人生は続いている。
ミゲルは、
日本の土佐で自身のカルマを受け取ったにすぎないのだ。
「ありがとう」という言葉ですら、
陳腐に感じるほどの暖かい気持ちをミゲルと、
メーガン、
そして彼のお母さんから感じたので、
ここに書いて記録し、
永遠に記憶しておく。
【追記】
これほどまでに美しい時間だったが、
いくつか彼にとって残念なことがあったので、
それもここに記録しつつ、
私たちのできる範囲で調整したいと思った。
「日本に来て残念だったこと」
1.テトラポッド、堤防のコンクリート詰め海岸
(利権がからんでいるいうことも含めて)
2.ゴミが詰まった海岸
(ゴミ箱も含め、行政が率先してきれいにすべき)
3.変なローカリズム
(おわかりでしょう)
ほとんどのセッションは、
私たちだけだった。
2回ほど地元の人であろうサーファーがパドルアウトしてきて、
テリトリー意識からだろうか、
両方ともわざとミゲルの邪魔をした。
具体的に書くと、
ミゲルは上記したように感動的なほどの
「ギビング・パーソン」だ。
彼は他のサーファーにどうぞどうぞ乗ってくださいとやり、
ゆずってもらった人は、
戻ってきたとたんにミゲルに乗せないようにしていたのだ。
しかもどう見ても故意だ。
もしかするとその人は、
1分間に2本の波に乗らないと死んでしまうのかはわからないが、
みなさんもご存じの、
よくあるそんなことだった。
彼も私もそれについて怒っているわけではなく、
もちろんそれを正そうとしているのでもない。
ただただ、
ひたすら悲しいのだ。
これが未開国の、
食事すらできないような人ならともかく、
屋根も電気もある豊かな生活をし、
道路に出たら他者に合わせて運転もでき、
言葉も理解し、
挨拶もできて、
笑うことができる人にそんなことをされたのが残念でならない。
さらに書くと、
これらのサーファーは、
仲間たちには優しく、
よそ者は排除して、
テトラ堤防が入ろうとお構いなしに、
「海は自分たちが守っている」
などと胸を張っていると推測する。
もっと書くと、
失われた7年間を取り戻しつつ、
生きているという奇跡を笑顔で過ごす彼にとって、
大好きな日本で少人数だけ会ったサーファーたちは、
かなり高い確率の、
奇妙でねじくれた姿ではなかったのだろうか。
ミゲルが言うには、
(カリフォルニアで見る)日本人は、
礼儀正しく、
すばらしいサーファーばかりだと思っていたという。
ならば、
変なローカリズム(自分たちが特権階級だと信じている)ことはやめて、
笑顔で波を分け与えて、
お互いにすばらしい時間が過ごせたらと、
ミゲルとの共同声明をここに記録しておく。
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【変な日本語になった。お疲れさまというのは、
正しくは目上の人が、目下の人に対して使うものだ】
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【巻末リンク:クリスチャン・ワック】
【巻末リンク*2:9年前ごろ】
Happy Surfing and Happy Lifestyles!!
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