毎朝というか、
未明からタキビ神とジェフリーズまで降りていく。
今日の千葉一宮の夜明けが4時48分であるので、
この写真は、
その頃に撮った昏(くら)んだ光耀(こうよう)だろう。
光耀は私たちを照らし、
なんとも言えない優しさで昨夜まで続いた嵐を浄化していった。
Tyler Warren “One Off 2+1”
7’2″ x 20-1/8″ x 2-5/8″
.
「波に乗り、風を切ることができた」
そう感得すると、
みずみずしい光の一筋がからだに入り込み、
私の心を浄白させた。
けれどもそのことを思い返しつつ、
ここにしたためているが、
とどのつまりは「無」であると気づいた。
サーフィンには敗北も勝利もなく、
淡く澄明な清浄でもあるようだった。
波乗りとは、
こんな輝きだったり、
乱反射なのかもしれない。
(さらなるサーフィン文学については巻末リンクに)
陽は上がり、
前線の雲が東上したのか消失したのかはわからないが、
タキビ神を黄金色(こがねいろ)に染め上げた。
彼は即身成仏を生きがいとし、
徹底することによって、
それを極として歓びを得ている。
固有性とか、
熱狂という言葉が浮かぶが、
本人は淡々としたもので、
ただひたすら静かに即身を狙い、
そして次は成仏を求める。
ちなみに即身とはバレルのことで、
成仏とは上陸、
ロングライディングのことである。
私の最後の波は、
今日最大の壁だった。
波に乗ることで、
強い光を得て、
そして一切の無になれた。
まるで仏教のようでもあり、
ブッダの言葉だったり、
龍樹(りゅうじゅ、ナーガールジュナ)が唱えた
無自性なる「空」だということが、
おぼろげながらわかった気がした。
2+1をシングル使いしていたが、
こうして正式にサイド+シングルとしてみると、
マニューバリティの進化に驚かされた。
そんなことを考えながら車に戻っていくが、
相変わらず駐車場は無人であり、
けれど太東は数百人ものサーファーで賑わっていると聞いた。
こうなるのは、
ただひたすら盲目的に波情報に従った結果ではないかと、
タキビ神との話題になった。
人生を冒険したいからこそのサーフィンという選択であるが、
実際に波に乗ろうということになると、
多くの人、
または波情報の点数が高いほうに行ってしまうのだろう。
安全圏だが、
混雑の中で波に乗っても浄化することはできるのだろうか?
こちらは無人で気持ちよくサーフできたからいいのだが、
混雑の中でサーフして、
モヤモヤとしてしまうのなら、
「逆もまた真なり」で、
低得点の少人数を狙ってもいいかもしれない。
フルーツ&ベジタブル・トルティーヤ・ラップ。
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【巻末リンク:サーフィン文学】
【巻末リンク:サーフィン文学2少年少女編】
【巻末リンク:サーフィン文学3実験編】
Happy Surfing and Happy Lifestyle!!
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The post 【サーフィン研究所文学編】(サーフィンは)淡く、澄明な清浄_(1260文字) first appeared on naki's blog | NAKISURF.COM ナキサーフボードカリフォルニア.